美容家恭子 30代 美容の仕事を始めたときの話(2)

30才、新婚、無職。

会社を結婚退職した私に待っていたのは、家にいる時間が長過ぎる違和感と、世の中から必要とされていないような孤独感でした。

出産はしたい。でもそれだけじゃない何かがしたい。何かって、なんだろう。私は何がしたいんだろう。

とにかく何でもいいから働こうと、職探しをしていたある日、求人募集の広告に目がとまりました。

【エステティシャン募集 (未経験者でもOK)】

何かに突き動かされるような気がしました。とりあえずダメもとでやってみよう!

即採用。即研修、即接客。そこは、新しいスタッフはすぐに辞めていく、ホスピタリティーゼロの店でした。私は、20代のときからそういう美容部員やエステティシャンをたくさん見てきたので、さほど驚くことはなく、淡々と仕事を覚え、淡々と仕事をこなしていました。

そこでの仕事は、全身のオイルマッサージ、フェイシャルエステ、永久脱毛、ワックス脱毛、まつ毛パーマ、化粧品や下着などの物販、パソコン仕事、ポップ作り、街頭でティシュ配りもやりました。

そして、私がフェイシャルエステに通っていた某化粧品会社にも所属し、代理店になりました。そこでも様々な研修を受けました。

感情的な女性たちの職場の中で、私はできるだけ無感情で仕事をしていました。でもある日、エステ店の店長に怒り爆発して店を辞めました。

不妊治療をしていたので、情緒不安定だったのかもしれません。生理が来ると泣く日もありました。

その頃はまだ、女性をきれいにしているという実感はありませんでした。とりあえず勢いで始めてみたものの、これでよかったんだろうかという不安ばかり。

店を辞めてまた、これからどうしようと思っていた時に、店で一緒に働いていた元スタッフさんから、「恭子さんにまつ毛パーマとフェイシャルをやって欲しい。」と連絡がありました。自宅に招いて施術したところとても喜んでくれました。

学生時代の友人は化粧品を買ってくれました。都内に住む姉は、ママ友を集めてくれました。

都内の姉の家を借りて出張エステを始めたところ、口コミでお客様がどんどん増えていきました。私のフェイシャルエステとまつ毛パーマとメイクと化粧品のアドバイスは、幼稚園のママさんたちに喜ばれました。東京から埼玉、千葉にも口コミが広がり、新浦安の高級マンションでは、お一人のお客様のご自宅をお借りして、1日10名の施術をすることもありました。

ちょうどその頃、自分の勉強のために書き綴っていたYahooブログが、美容部門の「スキンケア」ブログのおススメに選ばれていました。

つづく

◆美容家恭子 20代のときの話(1) /archives/1630